出雲の工場はタクワさんの実家だ。
彼は数年前まで私の片腕として十年以上、経理全般を担当してくれていた。
けれど、後継者として実家の縫製工場へ戻った。
当時は困ったし、寂しかったりしたけれど、
メーカーと工場としてつながり続けている事実がうれしい。