フィリピンで日本軍の捕虜になった
彼らは
熱帯の疫病で
多くの仲間を失った
やがて
本土の日本軍から指令が届いた
健康な捕虜を日本へ
送るように
日本行きを志願した彼ら1600人は
貨物船に詰められて
60日間かけて
門司港についた
それから
大牟田の炭鉱で石炭を掘る仕事を与えられた
フィリピンの捕虜生活と比べて
格段に快適だった
なにしろ
出されるスープに
野菜が入っていたのだから