「いまラビンがいたら」

「いまラビンがいたら」

中東が求む現実主義外交

 

1993年
イスラエル ラビン首相がパレスチナ自治政府を認め
2国家共存の道を示した
オスロ合意

2年後
ラビン首相は極右学生に
暗殺された

その後 オスロ合意は
根本的な問題を解決することなく
今日に続き

ハマスとイスラエルの戦いに
かたちをかえただけ

ラビン氏の言葉
平和は友人と結ぶものではない
敵と結ぶものだ

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