アラキフミオさん(1941年生)
高校を卒業後
製鉄会社に勤めた
フミオさん
当時は
自分の身体は
自分で守るが原則
床が高温になるから
下駄を履く
↑
木は熱を伝えにくいから
綿ではなく
ウールの衣服を着る
↑
火の粉が飛んできても
引火したり
燃え広がったりしないから
高炉のなかは
とても暑く
熱射病と同じ症状を
起す人がたくさんいた
汗をたくさんかくから
塩分不足になるので
塩や塩昆布 梅干しが
職場内に置かれていた