ゴウリキミチノブさん(1935年生まれ)
祖父 父に続き
三代目の炭鉱夫として
働き始めた
石炭が『黒いダイヤ』として
もてはやされた時代
時の政府は
黒いダイヤを採掘いるための
予算を惜しまなかった
結果
多くの国家予算が投じられ
様々な機械が鉱山にきた
使い方もよくわからない
機械だったが
国家予算が投じられたからには
止めるわけにはいかない
石炭を掘りだすのに
向いていない鉱脈でも
やるしかない
日産目標5000トンを掲げ
無理して掘り出している最中
昭和58年10月
93人が採掘中に死亡するという
大事故が起きて
山は閉鎖され
高価だった機械も
坑道のなかに放置されたまま
現在に至る