マツナガ タツオさん(1919年生)
9歳の時
町工場に小僧として入った
昼間は子守や使い走りをして
夜学に通ったが
ほとんど眠っていた
町工場では
金型(かながた)を作っていた
大量生産するために
木を彫って
ガラスの電球や
コップのもとを作った
やがて戦争がはじまり
中国北東部に行った
兵役が終わった後も
戦争は続き
6度の空襲を受けた
学歴はない
できることは金型を作ることだけ
終戦になり
戦後の混乱期を過ごし
日本は高度成長期に入った
マツナガさんの作る金型は
プラスティック製品に変わった