遺された日本人の子どもたちは
1942年4月
サンタ・アニタの競馬場に
連れていかれた
馬舎が住まいに改造されていた
馬小屋はとても臭かった
同じ年の9月
コロラド州アマチの
囚人キャンプのような
施設に移動させられて
刑務所を転々としてきた
父と再会した
父も子どもたちも
『我慢』した
この我慢そのものが
日本人特有の感覚で
だからこそ
日本人が
アメリカ人に
異質に映っていた