それが当たり前だった 戦時中の金沢

食料や紙はもちろん

衣料品も不足していた

 

ヤスコさんたちは

木や藁で作ったはきものを

はいていた

 

 

お母さんはヤスコさんのために

毛布にハサミを入れて

冬のコートを作ってくれた

 

同級生の男の子は

お姉さんのおさがりを機て

登校していたけれど

だれも

笑ったり

からかったりしなかった

 

モノがなかったから

みんなそれが当たり前だったのだ

 

ヤスコさんが自分の革靴を

手入れたのは

1948年のことだった


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